川内川(せんだいがわ)をご存じだろうか。九州で2番目に長い一級河川で、白髪岳を起点に熊本・宮崎・鹿児島の3県6市4町を流れている。3つの自然公園をはじめ豊かな自然環境があり、東西約70km・南北約20kmの悠大な河川だけあって、流域ごとに魅せる表情はかなり多彩だ。そんな川内川の長旅を最後に出迎えてくれるのが、鹿児島県の薩摩川内市という人口約9万人のまち。一級河川が中心市街地を貫通しているのは珍しく、薩摩川内のまちには川内川の交通の要として栄えた歴史がある。川内川市街部を臨む都市緑地公園のそばに、「SOKO KAKAKA(ソーコ カカカ)」という、もともと船の倉庫だったところを改装した複合商業施設がある。川内川を活かしたまちづくりのプロデューサーで薩摩川内市にUターンしてきた、田尾友輔さんが代表を務める。KAKAKAという名前は「川で人が交わり、まちが変わる(川る・交わる・変わる)」というコンセプトを表現。レンタルスペースの提供などを通して、創業を志す事業者がチャレンジできる私設の公民館となっている。設計関係に携わってきた田尾さんにとって、SOKO KAKAKAは、まちづくりのあり方そのものだという。田尾さんに、この施設に込めた想いについて伺った。川内川(写真は田尾さんのご提供)学生時代、被災地で刻まれた「まちづくり」という言葉。目の前の人に何かしてあげたい。美大の建築設計の学科に進んで、そこで初めて「ランドスケープデザイン」を知ったんです。ランドスケープデザインって、庭造りや公園の設計であったり、いわゆる都市計画と呼ばれるジャンルで、ランドスケープっていう言葉自体が、風景の直訳で、僕は「風景をつくる」って面白い言葉だなと思って、どっぷりはまって勉強していました。そして僕が大学2年生のときに3.11が起きて、僕自身も東京で被災しました。都市計画関係の学科の授業で被災地を訪れて、現地ワークショップでは実際に被災された方とお会いしたんです。そこで、本当に粗末な学生レベルのものではあったんですが、「都市計画プランのアイデアを出す」という機会をいただいたんですね。その時に「こんな綺麗な風景があったらいいよね」みたいなレベルの状況にいない人たちを目の前にして、それを提案することがすごく滑稽に思えて。尚且つそれまでやってきたような、デザインをして綺麗なものをつくるとか、そういったことじゃない次元があることを実感したんです。そこから、言葉として「まちづくり」が心に刻まれていきました。とはいえ就職は、それまでやってきた設計をする会社に入ったんですけれども、ありがたいことに日本でも大手と言われる会社に入らせていただくことができて、設計に関わっていたんですけれども、会社が大きすぎて、やっていることが5年、10年、15年後、先のまちづくりの設計だったんですね。新卒で社会経験のない自分からすると、何をやっているんだろうという、悶々とした状況も続いたり。もちろん設計のなかでも都市を設計するって、そんな簡単に若手がするものではないので、やっぱり一つの広大なものを若手がやるっていう話は絶対にないと言ってもいいので。何かすごく、そこから先が長いなというもどかしさというか、目と鼻の先で喜ばせることの実感のない仕事がすごくフラストレーションだったんです。その会社に入って3年が過ぎようとした時に、「これはちょっと一歩踏みとどまって、何かやっぱりまちづくりで、目の前の人に対して何かしてあげたいという思いを発散できることをチャレンジしたいなと思いました。2017年にUターン。きっかけは、前職の建築設計会社との出会い。転職を考えて、行き着いた先がUDS株式会社でした。建築設計の会社ではあるんですけど、それまでの設計業界とはちょっと一線を画してる部分があって。いわゆる設計会社というのは、クライアントとかデベロッパーというお金を出す方がいらっしゃって、こうしてくださいということを聞いた上で設計を始めて、その上で収支を合わせながら設計を完成させていって、さらに、ホテルとか誰かが使うものになってきたら、それを運営する会社とは別会社なんですよね。そうしたときに、設計会社は最終的にできるものの一部分を担うだけなんけれども、UDSという会社は、デベロッパーが企画するところから入り込んで、運営もその会社がやるという。そのことによって、設計だけれども、運営の収支・企画の狙いもわかるし、運営されるスタッフたちの声もダイレクトに聞こえて、自社経験のもとに設計ができるという、それまで自分がしていた設計会社とはすごく違うやり方で。自分も設計という建築業界には片足を突っ込んでいた身としては、すごく斬新に見えて。そんな斬新な視点を持っている会社が薩摩川内市でまちづくりをするというのを知って、そこに転職しようと思いました。スマートハウスと呼ばれる公共施設を企画、設計、そして運営までやっていたんですよ。スマートハウスってモデル住宅で行政施設だったんですけども、いわゆるエネルギーの普及啓発のための施設だったんですね。太陽光パネルがのって蓄電池があって。「原発立地の地域だからこそ、そういった自然エネルギーを活用していきましょう」というような施策があって、それを体現した施設というのが薩摩川内市のスマートハウスだったんですけれども。世の中、スマートハウスやモデル住宅を行政がやるって結構あって、でも本当に普通の一軒家をつくって、そこに太陽光を乗っけて、それをパイプ椅子でおじいちゃんが一日中管理しているみたいな施設が多いんです。でもUDSらしさとしては「まちづくり」なので、モデルハウスなんだけれども、いわゆる公民館のようにいろんな人が集って、まちづくりについての話し合いをして、より未来を切り開いていく施設にしていきましょうというコンセプトで管理運営をしていたんですね。僕は、そこの常駐スタッフとして帰ってきたんです。正当な価格で払わない文化をつくる。それは、果たしてまちづくりなのか。自分の生まれた故郷だから頑張ろうという思いではやっていないんです。たまたま自分の地元が、離れてみても、色々もったいないと思ったり、まだまだやれることがあるという、可能性を見いだせる場所だった。もちろん地元で、知っていたからこそ、もったいないと思う視点を持つこともできたというのもあるんですけれども、がむしゃらに地元だからどうにかしたいというのはないです。帰ってきてもう7年経とうとしていて、逆にそれを持ってしまうことはリスクだなと。世間的にもやっぱり今やっていることって地域貢献、地域活性と思われるとは思うんですけれども、そこに対してマネタイズもなく無償の奉仕で、想いだけでやってしまうのが一番良くないと思っていて。その限度を作るには、そこの線引きが絶対的に必要だと思っています。逆にそのノウハウを培うことで、薩摩川内以外でもおそらく役立てることは出てくると思えば、決して薩摩川内だけのためにやっていますというスタンスはとらないかなって思います。お金にこだわる理由としてはもう一つあって。安くなきゃお客さんが来ないみたいな環境が生まれてしまうことに、すごく違和感を感じていて。これって置き換えれば、正当な価格で頑張っている、本物のものをつくる人に対して、正当な価格で払わない文化をつくっていることになる。そう思ったときに、相場から低くすることって罪だって思って。ましてや街づくりを担っている施設として、それが植えつけられてしまうことって、果たしてまちづくりなのかと。やっぱりまちづくりを本気で心の底から謳うのであれば、正当な対価というのをちゃんと示していく、そしてそれを許容できる人をつくっていくってことは不可欠だなって思いますね。やっぱり消費者側の心理を変えなければ、KAKAKAのような場をつくっても、結局、公共施設で無料サービスの方がやっぱり人数は圧倒的に集まるので、その結果として民間が育まれないという矛盾が生じてしまっている。例えば、DIYブームがあるじゃないですか、もう何年も前から。大工さんというプロに頼めば人件費がかかるんですけれども、自分でやれば原材料のまんまで済むみたいな話がある中で、そこを公共施設というのは原材料費の部分を、さも無料のように見せてしまう。自ら開拓し、DIYできる力を引き出していく。小さくて財政もそんなに豊かではない行政は、余力がないからサービス量が低いんですね。けれども、サービスがめちゃくちゃふんだんにある行政というのは、例えば「カフェや子供を遊ばせる場所が欲しい」という市民の要望を解決してしまうんですよ。親御さんが、子供を連れてちょっと危険でも外遊びさせようみたいな発想よりも、行政が何かしてくれるだろう、公共が何かしてくれるだろうというサービスに依存してしまうという町の循環が生まれているな、というのは何となく感じていて。何もないってよく言いがちじゃないですか、つまらないって。けれどもそれって第三者依存思考ってこと。自らやればいいじゃん、子供を遊ばせる場所がないなら貸すから好きやってみれば、ということをしたくなる。実際、今ここに6テナント入ってくださっていて、ケーキ屋さん以外は初めてお店を構える人ばかりなんですけど、やろうと思えば自分でお店をつくれるんだというのを見せたかった。ここも元々は、ただの船を置いているだけの倉庫だったけど、ちょっと小綺麗にすれば小洒落たことはできるし、やってみるのが大事。そういうのを伝えつつ、「やってみる」ができる人を応援する、増やす。こういう施設でありたいなとは思っていますね。もぬけの殻だったこの倉庫を、僕はあくまで代表者として借りて、面積割りをしてビニールテープで割って「はい、どうぞ。あとは好きな商売を好きにすればいいよ」ってしているだけなんですよ。自活力ですね(笑)。自ら開拓する力とかDIY力を引き出していかなければ、不平不満しかない町にしかならないと思うんです。「何もない」とか言う人がいるじゃないですか。そういう人に限ってどういうことがゴールなのかもないんです。じゃ、いい町って何ですか?何もないという言葉を発しなくなる町ってなんですか?と。東京や博多みたいになればいいのかって話だし。でも多分そうなっても不満を言うんですよ。そこは、モノがある・なしということじゃなく、本人に何か目標だったり、コンテンツだったり誇りがあるかだと思うんですよね。だから僕は「うちの町って川内川っていうのがあってさ、河川敷でいろいろあったりさ」って、自分のまちのコーチとして語れるようなことから始まればいいのかなと思っています。市街地を一級河川が走ってる町って、中々ないですから。そういう思いでマルシェや川関係の仕事をやっています。今の時代、どこかに偏って一点突破を皆でやる方がいいのかなと。僕は、もしかしたらマイノリティーかもしれないですけど、もし地域活性とかやるのであれば、今の時代は多分間違っていてもいいから、どこかに偏って一点突破を皆でやる方がいいのかなと思っていて。薩摩川内はでっかくて広いので、やっていることが、バラバラになってしまいがちなんです。観光では甑島を押しているけど、全国メディアで映るのは原発の話が多かったりする。暮らしている人たちですら川内の特徴を語ることが難しい。それよりは、偏っていたり、正解かどうかもわからなくても、ガッって一点に向けることによって、協力する人、仕向けられる人が集うので。その人たちと対話をしながら、あるべきまちの将来像を、そこはもう本当に、ちょっとずつ前に進ませるっていう戦法のほうが僕はいいかな、というか、そう思ってしまう。昨日河川敷でハロウィンイベントがあったんですけど、それを主催した人たちって全員川内じゃないんです。X上でNFTっていうデジタル仮想通貨みたいなところの800人ぐらいのコミュニティがあるんですけど、たまたまその中の一人が薩摩川内の甑島在住だったんです。それで、初めましての人ばっかりが企画するオフ会みたいな会のフィールドとして、薩摩川内を選んでくれたんです。でも結局、自分たちがただ会いたいだけなんですよね。本を読んで勉強したりしていて僕が思うことは、好きな人たちの結束力って非常に高い。大義名分とか、それこそ満遍なく多方面にっていうやり方よりは、コミュニティっていうものの結束力を、すごく信用しています。それこそ、日本のオタクって呼ばれるものがマイノリティーじゃないですか。けれども今、東京のビッグサイトを借りて、コミックマーケットっていうので、何万人っていう人たちが全国から集まる、あれはもう完全に利益じゃなくて、自分の趣味にめちゃくちゃお金をかけて、何万人が集まるわけじゃないですか。コミュニティが事を動かす力になると思うし、あれだけの経済効果を生むことによって、日本を代表するメディアコンテンツになっていて、オリンピックの開会式にも使われるようなネタになっているわけです。それが世界から見た日本のイメージの中で、そこだけ一点突破しきれないから、日本って何やってんだ?みたいな感じになるんだけど、コミュニティの力というものには、何かがあるんじゃないかなと思っています。アーティストやオタクは、探究の回答例。週に一度、市内の私立中学校で美術を教えています。今探究学習っていうカリキュラムがあるんですけど、探究なんて言葉は、僕ら意識せずに過ごしてきましたけど、夢を持っているとか、アーティストやオタクとかって、究極の探求の形だと思うんです。好きだからこそ手段を選ばずというか、手段すら自分で考えて自ら開拓していく。だからそういった意味では、僕の中ではアーティストやオタクは、回答例だと思っています。教育の場で「探究」って言っているものの先に、先駆者として沢山いると思う。でも本当に、アーティストは大歓迎したいですね。ここの施設をアートギャラリー的に使うということは、やってみたりしていて。オープンしたての頃は、手織りの作家さんを東京から呼んで、この施設のスケールにはまる作品を展示したりしていました。本当はもっと首都圏を含めてアーティストを呼びたい。僕はUターンしましたけど、やっぱりそこに居ないとわからないことってあるんですよね。知っているか知っていないかで価値観が変わったりするし。知らなきゃ動かないし、価値観が生まれない。だから、僕がこっちに帰ってきてやれることって、刺激となるものを呼び込むこと。そこを頑張らなきゃと思っています。プロフィール紹介田尾友輔さん(SOKO KAKAKA代表)薩摩川内市出身。多摩美術大学環境デザイン学科を卒業し、東京の建築設計会社に就職後、まちづくりを志すようになり、Uターン。マルシェや野外ライブ、実証実験型ピクニックなどのイベント企画や、ブランディング、事業企画を行う。SOKO KAKAKA・友d’Angelo(イタリア料理店)を経営。