どんなものを美しいと感じるか。地域、年代やコミュニティによって、美意識が180度違ったりするのは、とても興味深い。私たちは「美しさに正解はない」と分かっていても他人の目が気になったり、無意識に正解を求めてしまいがちだ。でもだからこそ、自分の個性を前面に押し出して輝くスターのような存在に、憧れるのかもしれない。今回取材させていただいたのは、SNSで自身のハンドメイドアクセサリーやイラストを発信している、岡崎章子さん。鹿児島市内のカフェに現れた岡崎さんは、サングラスが似合い、服装も見るからにオシャレ上級者だ。取材の際のインタビュー音声を聴き返したときに、まるでFM番組で人気のラジオパーソナリティの声を聴いているかのように思えた。ハキハキとして表情豊かに話す岡崎さんの声は、聞いていると元気になり、不思議と華やいだ気分になる。そんな岡崎さんは、高校卒業後にモデルを目指して上京し、専門学校で勉強するうちにファッションにのめりこんでいったそうだ。最初のきっかけは意外にも、自分自身の見た目に対するコンプレックスだったという。誰しも個性があるのにもかかわらず、それを本人が責めてしまうことがある。その根本にあるのは何なのだろうか。誰しも社会の一員として生きていくためには、心の安定は不可欠なだけに、軽視できない問題だ。岡崎さんは経験者として、福祉関係のイベントで意見交換にも参加し、「これまでの経験を無駄にしたくない」と話す。その言葉の奥にある想いを、ご本人のこれまでの歩みとともに訊かせていただいた。上手い子にどんどん質問して、着回しとかレイヤードとか、その言葉すら知らなかった私のキャパシティを広げてもらいました。中学・高校はバスケットボールに打ち込んで、卒業後は美容専門学校のモデルコースに通いました。はじめは福岡の美容専門学校に通っていましたが、モデル専攻コースに進むために、東京の姉妹校に編入しました。基本的には自分を磨くための勉強をしていたので、体型とか骨格の診断の仕方や自分の肌色に合うパーソナルカラーを教えてもらったりしていました。専門学校に入りたての頃の私は、当たり障りのない服装をしていたんですが、先生が生徒の服のコーディネートチェックをするときに、よく怒られていましたね。でも基本的には褒められたいっていう気持ちがあったので。だから先生に厳しいコメントをされてしまうと悔しくて、考えるようになって、少しずつ変わっていきました。指導はすごく厳しかったけど、勉強になりました。同じクラスに、小物遣いとかコーディネートが特に上手い子がいたんです。いわゆる普通の人が「これでいいや」って思って着てくる服装に、プラス1、プラス2、3ぐらいまでを考えてやってくるんです。そういう具体的なお手本の子がいると、勉強しやすいんですよね。私は「なんでこのアイテムを組み合わせてコーディネートしたの?」とかその子にどんどん質問したりしていて。そうやって勉強しているうちに、服そのものに興味を持ち始めましたね。それこそ着回しとかレイヤードとか、その言葉すら知らなかった私のキャパシティを広げてもらいました。売ってるアクセサリーをそのまま使うことに満足できなくなってきて。「この部分がちょっと惜しいな。もっとこうだったらいいのに」って。専門学校を卒業してから、好きな街だった原宿にあるアパレルのお店で働き始めて。そこはお洒落なお客さんが多いので、店頭に立つときは気を遣いました。朝、自分がオシャレだと思って家を出ても、朝礼で周りの先輩たちを見ると自分の服が地味で物足りなく感じてしまっていました。休み時間に小物を買い足したりしていたんです。当時は自分に自信がなくて、よく周りの先輩のマネをしていたので、結果的に、これ以上にないぐらい派手なコーディネートまで行ったんですよ(笑)。着物や古着を取り入れてみるとか、上半身は堅いジャケットコーデで下はジャージを着るとか、色んな挑戦をさせてもらいましたね。いわゆる原宿っぽい、誰が正解か分からないような世界観で自分の幅を広げてもらいました。一回そういう世界があるって知ると、もっと探したくなるんですよ。原宿や表参道を歩いてヴィンテージショップや古着屋に入ったり、ちょうどインスタが始まった時期だったので、お店に調べてはトライアンドエラーを楽しんでいました。組み合わせることが好きで、コーディネートには、よく小物を取り入れていたので、お店ではアクセサリーの担当をさせてもらうようになりましたね。そのうちに、売ってるアクセサリーをそのまま使うことに満足できなくなってきて。「この部分がちょっと惜しいな。もっとこうだったらいいのに」って思うようになって、今では自分でアクセサリーを作るようになりました。もう身長も顔もコンプレックスに感じなくなっていました。私が今まで思ってた「かわいい」の世界って、めっちゃ狭かったんだなって。モデル事務所に所属して、ファッションショーに出るためのモデルレッスンを受けたりしていたんですけど、すごく面白くて。ドレスや着物からボディスーツ、もちろん小物もあって、普段着られないようなハイブランドのものとか、それこそヴィンテージで、もう作られてない織物の着物とかも着せてもらって、歩くレッスンをしていたんです。「ファッションショーでは、どんな要求があってもちゃんと歩きなさいよ」って言われて、斬新なコーディネートをしてもらったりしたので、そこでは型にはまらない自由な発想を学びました。例えば、「スカートをスカートとして履く決まりはないな」とか、自分でもロングスカートを買ったら胸の底まで上げて、ちょっとワンピースっぽく着てみたりとか、スカートを重ね着てみたりしてました。またアパレルの時と違う世界観みたいなのが広がりましたね。すごく貴重な経験をさせてもらったと思います。元々私はすごく真面目な性格で、「校則は絶対守らないといけない」とか「先生の言うことはちゃんと聞く」っていうタイプだったんですけど、東京に行って、そのラインはいい意味で、本当に壊れましたね。自分の堅い性格を変えるっていうのは、なかなか難しいなとは思ってたけど、ファッションを通して世界観が広がるたびに、「誰にも迷惑をかけなければ好きなようにしていいんだ」っていうことを、ちょっとずつ感じていて。ファッションは「こうしなきゃいけない」っていうのが、そんなにないかもって。それこそ日本の伝統とか風習とか冠婚葬祭とか、TPOはあるかもしれないけど、自由に自分が好きなものを着て、面白いと思ったことをしていいんだって思いました。もともと芸能界とかキラキラした世界を目指していたわけではなくて、コンプレックスに感じることが多い自分を克服しようと思っていたんです。当時の私は、クラスの男の子より身長が高くて、体型や顔立ちが周りの子と違うことがイヤで、自分のことがあまり好きではなかったんですね。そんな自分を、何とかしたくて選んだ道でした。でもモデル事務所では、身長も私は小さい方でしたし、顔立ちも外国人寄りの顔って言われて、すごく褒めてもらえたんですよね。今まですごくこの顔がイヤだって思ってたけど、それでいいんだって。もう身長も顔もコンプレックスに感じなくなっていました。私が今まで思ってた「かわいい」の世界って、めっちゃ狭かったんだなって思いました。すごく嬉しくて居心地がよかったし、認めてもらえた感覚がありました。挨拶してくれた人と話したりしているうちに「人が好きだっていうことは、ずっと変わらなかったんだなぁ」って。アパレル会社に就職して、好きだったモデル活動もしていたんですが、23歳のときに、鹿児島に帰ってくることになったんです。当時、自分ではそんなに強いストレスを感じていなかったつもりだったんですが、何の前触れもなく、具合が悪くなって電車に乗れなくなりました。思いも寄らない状況に全く余裕がない中、一旦全部をまっさらにしたいと思って、上司に相談してアパレルの職場を辞めて、鹿児島に帰ってきたんです。久しぶりの鹿児島は、落ち着く街だなって感じてほっとしました。ただ、まだまだアパレルやモデル活動で挑戦したい思いがあったり、慣れ親しんでいたこともあって、療養して少し回復してから、再スタートするために東京に行きました。でも、急に頑張り始めたことで、頭に身体がついていかなくなってしまって、結局また実家に戻ってくることになりました。心身のバランスを取り戻せない状態や、上手くいかない事が連続して、自信を失っていく自分がいましたね。こころの不調に、体調の悪化が追い打ちをかけてくる中で、本当に自分をなんとかしたいという気持ちが湧きはじめました。ある時きっかけがあって、挨拶してくれた人達の会話に入ってみたいと思ったんです。色々なバックグラウンドを持つ方が楽しそうに話す中で、自分も話したりしているうちに、お客様とお喋りするのがすごく好きだったこととかを、だんだん思い出してきたんですね。「人が好きだっていうことは、ずっと変わらなかったんだなぁ」って、そう思えたことが結構救いでした。そういう自分に気づいてからは、かなり元気になっていきましたね。イラストの可能性って、すごいかもと思いました。もともとお絵かきが好きだったんですよ。それこそあの高校卒業して進路を選ぶときにイラストレーターとか美術の方に進めばっていうふうには言われてたんですけど。「勉強しているうちに壁にぶつかって、イラスト書くのが嫌いになったら、私めっちゃ悲しくなるな」と思って、そのときは選ばなかった道なんですよ。でも巡り巡って、ずっと描いていたんですね。 別に誰に見せるわけでもなく、しんどい時もそれなりに絵を描いたりとか、自己表現の一つとして使っていました。今なんでイラストを仕事にしてるのかっていうと、いとこの結婚式で、みんなの集合写真をイラストに描いたんです。結婚式の日、祖父は亡くなる直前で入院していて出席できなかったんですけど。集合写真だと本人がそこにいないといけなくても、イラストに描けば、おじいちゃんを当てはめられると思ったんです。お葬式の日に「このイラストを棺にいれてもいいですか?」って葬儀屋さんに聞いたら、その方も一緒に泣いてくれて。親戚中の人が「私にもそのイラストをちょうだい」って言ってくれて、おばあちゃんもすごく喜んでくれたのが嬉しかったんです。イラストの可能性ってすごいかもって思いました。誰かを元気にしたくて、イラストを仕事にするようになりました。何て言えばいいか分からない感情を、直観的に紙に描いてみたりします。イラストって別に何色で描いてもいいし、どんな形をしていてもいいし、自由に変えられる。自分の髪色変えるのなんて一ヶ月に一回ぐらいだけど、毎日髪の色を変えられるのがイラストが自由で楽しいところ。自分がこう言いたい、表現したいけど、でもなんて言えばいいか分からない感情も、直感的に紙に描いてみたりします。それも自己表現として、イラストのいいところだなと思います。デジタルイラストだと、手軽に取り組みやすくて横になりながらでもやれるから、そういう病気の人や外に出れない人とかにも、もっと使ってもらえたらいいなと思っています。お絵かき体験教室を開いたのも、当初はそういう目的がありました。ハンドメイドアクセサリーも自分を励ますために始めたけど、今は、自分の作ったアクセサリーが人の心の支えみたいになればいいなっていうのは思っています。私は他人に生かされてるんだっていうのは基本的には思ってるし、だからこそ大事にしなきゃいけないなって。私の考え方で、どうしても変えられないことがあって、私は自分で自分を生かしてるんじゃなく、他人に生かされてるっていうことなんです。ここまで元気になったのって、自分が何かしたというより、やっぱり他人が直接励ましてくれたり何も言わないけど応援してくれたりとか、自分以外の人が頑張ってくれたからっていうふうに思うと、自分主体で何かしたからとは思えなくて。「あなたの人生の主役はあなたなんだから、あなたを中心に考えればいいんだよ」って言ってもらったことがあるんですけど、ピンとこなかったんですよ。確かに中心にいるのは自分かもしれないけど、周りに誰かがいないと何も起こらないと思ったんですね。今までの世界観を広げてくれたのも、自分じゃなくて他人が作ったお店だったり、ブランドだったり、人そのものだったりするから。私は他人に生かされてるんだっていうのは基本的には思ってるし、だからこそ大事にしなきゃいけないなっていうふうに思ってます。経験者として何かできることはやっていきたいなと思います。それがイラストデザインなのか、ハンドメイドなのか、カフェなのか、どれでもいいんですけど。別にカウンセラーになりたいわけじゃないけど、ちょっとお茶しに来てもらえばいいなと思うし、アクセサリーひとつ着けて外に出る気分になってもらえればいいなと思うし、私が描いてるイラストが、ちょっとでもハッピーをっていうコンセプトで描いてるので、自分でもイラストを始めてみようって思ってもらえればいいなって思います。プロフィール紹介岡崎章子さん(RE:ARL代表)鹿児島市出身。美容専門学校を卒業後、アパレル会社に就職。東京原宿や表参道のファッション文化に興味を持つ。現在は鹿児島で、デジタルイラストやハンドメイドアクセサリー作家としてSNS発信をしながら、ネットショップ、個展、姉とポップアップカフェを開くなど活動を広げる。オリジナルブランドRE:ARL(リエール)を運営。